百年の心MIND

創業者の言葉

はじめに

2022年、大野建設は創業115周年を迎えました。
埼玉の城下町、古代蓮の里としても知られる行田市に根をおろして100年以上、
お客様に喜んでいただくことを第一に、
ひたすら歩み続けてまいりました。
初代以来、いい伝えられてきた言葉があります。

一つ、家づくりは細く永く行え
一つ、家づくりは一生涯地域を離れない者が行うもの
一つ、家づくりは地域をよく知る者が行え

地域に密着し、建てたものに永久に責任をもつ―。
これからも誇りをもって、この古きよき伝統を守り継いでいくために、
改めてこれまでの歩みをふり返ります。

黎明期

黎明期

明治40年(1907年)、腕のいい大工だった大野福次郎が、個人営業として建築業を創業。根っからの職人だった福次郎は、営業活動を一切しませんでした。口グセは「金もうけのためじゃねえんだから」。
それでも、いい仕事をすれば「あの棟梁なら間違いない」と仕事が来たと言います。
いまも行田には福次郎が建てた家が残ります。築100年。家はビクともせず、私たちの誇りであり、戒めともなっています。

そんな職人気質の父親の薫陶を受けたのが、二代目、大野島蔵でした。
大野島蔵は、14歳で父・大野福次郎に入門、大工として歩み始めました。
腕のよさは父親譲りでしたが、第二次世界大戦が勃発、二度も召集に応じその任を果たして来ました。

復員後の昭和25年(1950)、31歳で父の跡を継いで大野建設代表となり、戦後の住宅復興に尽くしました。そして昭和41年(1966)組織を株式会社に改めました。三代目の大野年司にバトンを渡すまで、島蔵は、高い技術力をもつ大工たちを率い、地域密着型の建設会社として、順調に歩みを進めることになります。

二代目 大野島蔵の話

二代目 大野島蔵の話

女房には苦労をかけましたねえ。昭和18年に満州から帰ってきて、11月29日に結婚したんですが、12月3日に、二度目の召集令状が来ちゃった。ビルマで敗戦を迎え、抑留。
帰ってきたのが昭和21年の半ば。戦争が終わって1年が経っていました。

私が親父の跡を継ぐと、今度は住み込みの大工さんたちの世話でしょう。多いときには10人くらい職人がいて、朝晩の食事に弁当作りと、女房はそれは大変だったと思います。職人を探すのも女房の仕事でしたしね。

私自身は、途中から社長という肩書きになりましたが、いまも大工のほうがピンときますね。口頭で人を使うのはどうも・・。そりゃあ現場で仕事するくらい面白いことはないですからね。むずかしい普請をしている時なんかは、早く仕事したくて夜も寝ていられないくらい。

私の父は「金儲けのために作るんじゃない」と言っていましたが、まさにその通り。ものをつくるというのは、楽しいからするのでね。どうも、今の風潮は経済にとらわれすぎだと思いますね。
三代目の現社長が28歳の時、実質上、経営を任せました。早くから責任を持たせた方が、意欲もわくし、成長も早いです。心配は全然しなかった。いまの大野建設があるのはいいお客様やいい社員、いい協力会社あってのことです。

おかげで私はすることがないから、ゴルフが上手になりました。やりだすと、とことんやるので上達も早くて、エイジシュートをこれまでに10回以上達成しました。いま87歳ですが、現役ゴルファーです。これだけは、息子にも孫にも負けません(笑)。

※ エイジシュート:自分の年齢と同じスコアで回ること
※ 大野島蔵は平成19年10月永眠致しました

変遷期

変遷期

昭和53年(1978)、父・大野島蔵から経営を任された大野年司が打ち出したのが、「伝統を踏襲しつつ、会社をよりよくするために新しい事に挑戦する」という基本方針でした。

先代、先々代が大切に育んできた、高い技能をもつ職人集団。
そして地元から寄せられる信頼の厚さ。
これらは絶対に大野建設が守り継がねばならない貴重な財産です。
その上で、私たちは、自らの殻をやぶり、建築物であればなんでもやれる会社へと進化していくことをめざしました。

そして、従来の住宅部門に、建設・リフォームという新たな事業をつけ加えたのです。
現在、建設部門は、病院や高齢者福祉施設、学校、工場建家、商業施設から遊技場まで、様々な分野へ着実に進出。

リフォーム事業部門は、これまで手がけてきた注文住宅のフォローアップを主軸に、建設部門で施工した病院の増改築、工場建家の改修まで事業を広げています。

しかし、どんなに事業が拡大しても、根幹にあるのは「三方良しの理念」。
いままでの百年も、そしてこれから先の百年も、私たちはこの姿勢を崩すことなく、歩み続けてゆきます。

三代目 大野年司の話

三代目 大野年司の話

28歳で、義父から代表社印を預けられた時は正直戸惑いました。しかし、いずれこの時がくるのだからと覚悟を決めました。代表取締役への正式就任はその後、10数年を経た平成7年でしたが、実質的にはあの日が私にとって、経営者として歩みだした日だと言っていいでしょう。

義父は翌日からバッタリと社に来なくなりました。「自分で考え、判断し、失敗しながら道を切り開いていけ」
そんな無言のメッセージを感じました。

私は、「家づくり」は「しあわせづくり」だと、かねがね思っています。ところがいま、そのしあわせづくりのお手伝いをするどころか、お客様の幸せを損なうような家づくりが多いように思われてならないのです。社会問題になっているシックハウス症候群・耐震偽装問題・悪徳リフォーム等。またその逆に、過剰に耐震設計をほどこした家。どちらも「お客様の身になって考える」気持ちがあれば、ありえないことだと思うのです。

以前、私は大学時代の恩師から、家を建て替えたいという相談を受けたことがありました。恩師のお宅は神奈川県にあります。うちからは少し遠いため、納得のいくメンテナンスができないと考えた私は、その工事をお断りしました。そして、そのかわりに、信頼できる知人がやっている地元の工務店を紹介しました。

建て替えが無事にすんで数年後のある日、一本の電話がかかってきました。出てみると、恩師のお母様です。お亡くなりになる1ヶ月前でした。80歳になるという老婦人は、「おかげさまでいい家ができました。本当にお世話になりました。感謝しております。」と、私にお礼を言ってくださったのです。とても嬉しかった。同時に、家づくりの何たるかをあらためて思い知らされ、身が引き締まる思いがしました。

これからの家づくりには、ますますそういった「相手を思いやる」心が必要になるでしょう。そしてその心は、地域の環境、ひいては地球の環境を考えることにつながっていきます。
私は、「人が暮らす」という場の担い手のひとりとして、これからも常に、自らに厳しくあり続けたいと思っています。

現在、そして未来へ

現在、そして未来へ

2021年8月代表取締役社長に就任。四代目 大野哲也。
1907年の創業以来、お客様、地域の皆様、そして社員はじめ多くの関係者に支えられ、今の大野建設があります。
いつも感謝の心を大切にしていたいと思っています。皆様に心より御礼申し上げます。

初代二代目三代目が大切に育んできた、高い技能をもつ建築技術集団。そして地域から寄せられる信頼の厚さ。
私は四代目としてこれらも絶対に守り継がねばならないと想っております。

創業以来綿々と引き継がれてきた大工棟梁魂の一つである「人の役に立て」を軸に、私はお客様・私たち社員・そして地域社会の誰ひとり取り残すことなく皆がよくなるために、豊かで幸せな「夢づくり、街づくり」をお届けする会社をこれからも目指してまいります。

利益を上げる、売り上げを増やすこと、これらは企業にとって必要なことですが、これはあくまで手段です。
私たちの目的、あるべき姿はお客様・私たち社員・社会の皆の幸せ(喜びや満足)を追求することであり、これまでも当社は「三方よし」経営を実践してきました。このあるべき姿を追求し、実践することが、当社にとっても私たちにとっても「挑戦」であり続けます。

建築・家づくりを通して「街づくり」「人づくり」といった社会基盤の維持を担う私たちは、その使命と誇り、そして感謝の想いをもって仕事に取組み、仕事を通して相手(お客様・社員同士・地域)のお役に立とうとすることが、必ずや良い結果をもたらすと確信しています。そして、この思いをさらに深化させ、実践することで地力を付け続け、永続的にバトンを引き継いでいくことが私の役割です。

沿革

1907(明治40年)
大野福次郎、個人営業として建築業創業。
家業の大工職を引き継ぎ、後世へとその優秀な技術は伝授され、大野建設の礎となる。
1950(昭和25年)
大野島蔵、大野建設の代表となる。
住宅金融公庫が発足して、大野建設も戦後の住宅環境整備の一翼を担う。
1963(昭和38年)
有限会社大野建設へ組織化。
本格的な木造建築のパイオニアとして評価を受け、地元からの工事量は年々増加。
1966(昭和41年)
大野建設株式会社に改組。
1970(昭和45年)
子会社「有限会社大野不動産」を設立。
建設と土地の密接な関係をスムーズに処理するため、不動産部門を独立。街づくりへの貢献を幅広く目指す
1976(昭和51年)
大野建設の施工協力会「大栄会」発足。
施工会社が協力会として組織化され、より広範な受注にお応えできる体制へ。
1982(昭和57年)
資本金を4,500万円に増資し、経営の安定化を図る。
同時に技術力の向上を図り、トータルプランニング力を強化。
1985(昭和60年)
埼玉県入札業者資格A級獲得。
CI導入を図り、新しいステートメントおよびマークを決定。
1986(昭和61年)
新社屋完成により本社移転。鉄筋、鉄骨、木造工法に2×4工法を新たに加える。
1987(昭和62年)
CADシステムを導入。
コンピュータによる図面作成、連動積算業務を開始。お客様のご要望により迅速に対応できる体制づくり。
1988(昭和63年)
住宅都市整備公団の住宅建設・工事の受注。
1989(平成元年)
資本金を6,075万円に増資。
1992(平成4年)
創業85周年。大野年司、代表に就任。資本金を8,000万円に増資。
1993(平成5年)
埼玉県入札業者資格特A級獲得。
1994(平成6年)
建設省住宅局長賞を受ける。建設会社として、埼玉県初の受賞。
1995(平成7年)
労働省広域認定職業訓練校「番匠塾」を開校。
熊谷総合展示場にモデルハウス「ノクターン」出展。
ますます地元に密着、お客様のニーズにきめ細かくお応えします。
1997(平成9年)
創業90周年。匠の技を21世紀に伝えるべく、さらなる飛躍を目指します。
番匠型住宅合理化認定取得。
1998(平成10年)
建設省建設大臣顕彰を受賞。
1999(平成11年)
ISO9001認証取得。
2000(平成12年)
第1回「大地に還える住宅」設計提案競技優秀賞受賞。
グループ資本金11,000万円とする。
2001(平成13年)
「環境共棲住宅」認定取得
2002(平成14年)
「2001年彩の国さいたま景観賞」受賞
2002(平成14年)
TBSハウジング東松山会場にモデルハウス「フェルマータ」出展。ISO14001認証取得。
2003(平成15年)
新熊谷ハウジングセンターにモデルハウス「リミックス」出展。
2005(平成17年)
環境にやさしい家づくりを全国に広めるべくNPO法人環境共棲住宅「地球の会」を理事として設立
2005(平成17年)
経営事項審査(建築一式部門)埼玉県ランキング
客観点で、JR高崎線沿線上尾から本庄の間で第2位となる
2006(平成18年)
第一回行田市「浮き城のまち景観賞」を受賞。
日本道経会より「三方良し経営賞」受賞。「地球の会」設計コンペ佳作受賞。
熊谷総合展示場のモデルハウスを「五感の家」に建て替え。
埼玉県県士づくり優秀建設工事施工者受賞。
2007(平成19年)
日本道経会より創業100周年記念表彰を受賞。
2009(平成21年)
国土交通省「長期優良住宅先導的モデル(200年住宅)」に採択。
行田市佐間に体感宿泊モデルハウス「一生を暮す自然素材の家~きづくり~」オープン。
2011(平成23年)
勤続44年目の馬場棟梁が優秀施工者国土交通大臣顕彰を受賞。
2012(平成24年)
新熊谷ハウジングセンターにモデルハウス「きづくりシリーズ~楽縁の家~」出展。
2015(平成27年)
熊谷展示場にモデルハウス
「KUMAGAYA MODERN HOUSE」を出展。
2016(平成28年)
埼玉県多様な働き方実践企業 シルバー認定 取得。
2017(平成29年)
創業110周年。
埼玉県環境住宅賞(入選)受賞
2018(平成30年)
サステナブル建築物等先導事業(省CO2先導型) 採択
2019(平成31年)
経済産業省「健康経営優良法人2019」に認定
SDGs宣言
2019グッドデザイン賞 受賞
2021(令和3年)8月
大野哲也 4代目 代表取締役社長に就任。
大野年司 取締役会長に就任。
2022(令和4年)
温室効果ガス(GHG)排出量削減目標
国際イニシアティブ「SBT(Science Based Targets)」に認定
2023(令和5年)
経済産業省「健康経営優良法人2023」に認定