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大野建設 百年の心 | 大野建設 埼玉

大野建設 百年の心

はじめに

2007年、大野建設は創業100周年を迎えました。
埼玉の城下町、古代蓮の里としても知られる
行田市に根をおろして100年以上、
お客様に喜んでいただくことを第一に、
ひたすら歩み続けてまいりました。
初代以来、いい伝えられてきた言葉があります。
一つ、家づくりは細く永く行え
一つ、家づくりは一生涯地域を離れない者が行うもの
一つ、家づくりは地域をよく知る者が行え
地域に密着し、建てたものに永久に責任をもつ―。
これからも誇りをもって、
この古きよき伝統を守り継いでいくために、
いま、あらためてこれまでの歩みを
ふり返ってみたいと思います。

はじめに

 


 

黎明期

明治40年(1907)、腕のいい大工だった大野福次郎が、個人営業として建築業を創業。根っからの職人だった福次郎は、営業活動を一切しませんでした。

口グセは「金もうけのためじゃねえんだから」。
それでも、いい仕事をすれば「あの棟梁なら間違いない」と仕事が来たと言います。

いまも行田には福次郎が建てた家が残ります。築90年。家はビクともせず、私たちの誇りであり、戒めともなっています。

そんな職人気質の父親の薫陶を受けたのが、二代目、大野島蔵でした。

 

黎明期

およそ90年前、大野建設が創業まもない頃に建てた木造住宅。住めば住むほど強くなり、味わいが増すのが木の家です。


 

草創期

草創期

大野島蔵は、14歳で父・大野福次郎に入門、大工として歩み始めました。

腕のよさは父親譲りでしたが、第二次世界大戦が勃発、二度も召集に応じその任を果たして来ました。

復員後の昭和25年(1950)、31歳で父の跡を継いで大野建設代表となり、戦後の住宅復興に尽くしました。

そして昭和41年(1966)組織を株式会社に改めました。

三代目の大野年司にバトンを渡すまで、島蔵は、高い技術力をもつ大工たちを率い、地域密着型の建設会社として、順調に歩みを進めることになります。

大野建設会長 大野島蔵の話

大野建設会長 大野島蔵

女房には苦労をかけましたねえ。昭和18年に満州から帰ってきて、11月29日に結婚したんですが、12月3日に、二度目の召集令状が来ちゃった。ビルマで敗戦を迎え、抑留。
帰ってきたのが昭和21年の半ば。戦争が終わって1年が経っていました。

私が親父の跡を継ぐと、今度は住み込みの大工さんたちの世話でしょう。多いときには10人くらい職人がいて、朝晩の食事に弁当作りと、女房はそれは大変だったと思います。職人を探すのも女房の仕事でしたしね。

私自身は、途中から社長という肩書きになりましたが、いまも大工のほうがピンときますね。口頭で人を使うのはどうも・・。そりゃあ現場で仕事するくらい面白いことはないですからね。むずかしい普請をしている時なんかは、早く仕事したくて夜も寝ていられないくらい。

私の父は「金儲けのために作るんじゃない」と言っていましたが、まさにその通り。ものをつくるというのは、楽しいからするのでね。どうも、今の風潮は経済にとらわれすぎだと思いますね。
三代目の現社長が28歳の時、実質上、経営を任せました。早くから責任を持たせた方が、意欲もわくし、成長も早いです。心配は全然しなかった。いまの大野建設があるのはいいお客様やいい社員、いい協力会社あってのことです。

おかげで私はすることがないから、ゴルフが上手になりました。やりだすと、とことんやるので上達も早くて、エイジシュートをこれまでに10回以上達成しました。いま87歳ですが、現役ゴルファーです。これだけは、息子にも孫にも負けません(笑)。

※ エイジシュート:自分の年齢と同じスコアで回ること
※ 大野島蔵は平成19年10月永眠致しました

 


 

現在、そして未来へ

現在、そして未来へ

昭和53年(1978)、父・大野島蔵から経営を任された大野年司が打ち出したのが、「伝統を踏襲しつつ、会社をよりよくするために新しい事に挑戦する」という基本方針でした。

先代、先々代が大切に育んできた、高い技能をもつ職人集団。
そして地元から寄せられる信頼の厚さ。
これらは絶対に大野建設が守り継がねばならない貴重な財産です。
その上で、私たちは、自らの殻をやぶり、建築物であればなんでもやれる会社へと進化していくことをめざしました。

そして、従来の住宅部門に、建設・リフォームという新たな事業をつけ加えたのです。
現在、建設部門は、病院や高齢者福祉施設、学校、工場建家、商業施設から遊技場まで、様々な分野へ着実に進出。

リフォーム事業部門は、これまで手がけてきた注文住宅のフォローアップを主軸に、建設部門で施工した病院の増改築、工場建家の改修まで事業を広げています。

しかし、どんなに事業が拡大しても、根幹にあるのは「三方良しの理念」。
いままでの百年も、そしてこれから先の百年も、私たちはこの姿勢を崩すことなく、歩み続けてゆきます。

大野建設社長 大野年司の話

大野建設社長 大野年司

28歳で、義父から代表社印を預けられた時は正直戸惑いました。しかし、いずれこの時がくるのだからと覚悟を決めました。代表取締役への正式就任はその後、10数年を経た平成7年でしたが、実質的にはあの日が私にとって、経営者として歩みだした日だと言っていいでしょう。

義父は翌日からバッタリと社に来なくなりました。
「自分で考え、判断し、失敗しながら道を切り開いていけ」
そんな無言のメッセージを感じました。

私は、「家づくり」は「しあわせづくり」だと、かねがね思っています。ところがいま、そのしあわせづくりのお手伝いをするどころか、お客様の幸せを損なうような家づくりが多いように思われてならないのです。社会問題になっているシックハウス症候群・耐震偽装問題・悪徳リフォーム等。またその逆に、過剰に耐震設計をほどこした家。どちらも「お客様の身になって考える」気持ちがあれば、ありえないことだと思うのです。

以前、私は大学時代の恩師から、家を建て替えたいという相談を受けたことがありました。恩師のお宅は神奈川県にあります。うちからは少し遠いため、納得のいくメンテナンスができないと考えた私は、その工事をお断りしました。そして、そのかわりに、信頼できる知人がやっている地元の工務店を紹介しました。

建て替えが無事にすんで数年後のある日、一本の電話がかかってきました。出てみると、恩師のお母様です。お亡くなりになる1ヶ月前でした。80歳になるという老婦人は、「おかげさまでいい家ができました。本当にお世話になりました。感謝しております。」と、私にお礼を言ってくださったのです。とても嬉しかった。同時に、家づくりの何たるかをあらためて思い知らされ、身が引き締まる思いがしました。

これからの家づくりには、ますますそういった「相手を思いやる」心が必要になるでしょう。そしてその心は、地域の環境、ひいては地球の環境を考えることにつながっていきます。

私は、「人が暮らす」という場の担い手のひとりとして、これからも常に、自らに厳しくあり続けたいと思っています。

大野建設 百年の心